「あんぐる下関」
写真集「あんぐる下関」。昭和52年発行の古い写真集だ。毎日新聞下関支局・編。三人の写真家グループ(グループSYS)による下関の当時の「今」がモノクロ写真と文章でまとめられている。
わたしは軽食・喫茶「スリランカ」でこの本を見つけてからというもの通っては読みふけっていたのだが、下関市図書館にあることがわかって今手元にある。
この本に古川薫さんの前書きが寄稿されている。
わが国の歴史資料にはじめて写真が登場したのは、下関戦争の写真だという。
1864年の攘夷戦(下関戦争)、四国連合艦隊が下関を砲撃したときのもので、前田砲台の風景が鮮明に写し出されているとのこと。撮ったのはイタリア人のカメラマン他。と書かれている。
日本で初めての歴史資料になった写真が下関戦争のときのものだったとは。
長州藩が約150年前、この国の中心、また世界的にも注目される地であったということを物語っている。
その写真は「あんぐる下関」には掲載されていないが、その場に居合わせた者たちが命がけで撮った報道写真の迫力が伝わってくるような古川薫さんの文章にぐいぐい引き込まれた。
写真が持つ「力」、真実を伝える写真の力。
下関戦争の写真の話題から、グループSYSが目指した報道写真について話題が移る。グループSYSの下関をつぶさに見つめる目線、まさに「あんぐる」に共感し、その三人の功績を称える形で前書きは締められている。
グループSYSのメンバーは新谷照人さん、吉岡一生さん、清水恒治さんの三名。イニシャルから名付けられたグループ名とみられる。一記事に対して一枚の写真。限られた新聞紙面、連載の制約の中に研ぎ澄まされた「あんぐる」がこの一冊にまとまっているのだ。
古川薫さんによる前書きの締めの一文はこれだ。「あんぐる下関」の完成に乾杯!
2018年5月5日
古川薫さんの文に触れたのはこの「あんぐる下関」がはじめてだった。
わたしはかんもんノートに文を書くようになってから郷土にゆかりのある作家が気になるようになった。古川薫さんもそのなかの一人だった。
その古川薫さんが5日92歳で亡くなられたそうである。
今年維新150年。維新を見つめた作家の最期の年にもなってしまった。