観光

下関の文化人を追って “ノスタルジック” 田中町散歩

名誉館長

散歩。ふらっと立ち寄った「田中絹代ぶんか館」の名誉館長が古川薫さんだったことを知った。書斎を再現した部屋があり、そこで記帳をしてきた。

ここも日本遺産「関門“ノスタルジック”海峡」の構成文化財だ。柱がショートケーキのホイップクリームをストレートにのばした感じで好き。中央の赤いアーチ型の屋根がいちごみたいにも見える。女性的なやわらかな印象の建物。

田中町の路地。とてもノスタルジックな雰囲気たっぷりの三叉路。

ここはどんな商店だったんだろう。

本屋さん。梓書店。「金子みすゞの本があります」今は配達中。

市内を歩けば金子みすゞの詩。

家に帰り田中絹代ぶんか館のホームページを見ていると「名誉館長のつぶや記」というコンテンツがあったことを知る。開館当初から今年の3月20日まで月2回のペースで古川薫さんのつぶや記がtwitterでなくこういう形でアップされ続けていたのだった。

タイトルを見てリンク先にジャンプしては拾い読み。6月生まれにちなみ薫と名付けられ(素敵…)、子どもの頃は運動会のかけっこが大の苦手で大相撲観戦が好きだった古川さん。

古川薫さんの日々の考え、活動などを垣間見ることができるので、歴史小説を読む前に作家の横顔にアプローチしていけたらと考えた。

そう、最初の一歩はちょっとずつ、できるだけ。それぐらいがちょうどいい。好奇心の向くままに…。

 

279個のつぶや記の中から

『つぶや記129 戦場写真家ベアトの再来』をここで紹介したい。

日本の歴史資料にはじめて出てくる「写真」は、1864年の攘夷戦時の下関を写したもので、その写真はイタリア(イタリア生まれ、イギリス国籍)のカメラマンベアトによるものであることは前回の記事でお伝えした。

ベアトの再来とは、昭和20年の2度の下関空襲(末廣稲荷神社のことを書いた記事で少し触れています)の直後の下関の焼け野原を写真に残した下関市民・竹崎で写真店を営んでいた上垣内茂夫さんのことを指している。

こんなん写してたら、怖い人に連れて行かれてなにをされるか…といった時代背景の中で、姿を隠しながら命がけで街にレンズを向けシャッターを切った上垣内さんのことが古川さんのつぶや記に書かれているのだ。これらの写真は下関史に貴重な資料として残されているそうだ。

41年前に発行された写真集「あんぐる下関」の前書きの続きがつぶや記に書かれてあるようで頭の中で歴史がつながったような気がして、またこの地域がさらに多面的に見えてきた。

古川薫さんの文章が放つ「光」、時空を超えた文章の「力」を今後も自分なりに感じ取っていきたいと思った。

 

林芙美子と名池の井戸

図書館で借りていた林芙美子「放浪記」も結局通しで読むことはできず、冒頭部分と中をぽつぽつ拾い読みしたところでタイムアップ。

豪快で明るい人だなあ!というイメージを持った。お腹を空かせてグチなんかを吐いている。その言葉はストレートでまさにコンチクショウってかんじで。それがツボにはまる。これからも折に触れて芙美子のことをちょっとずつでも知っていけたらいいな。

芙美子は住まいを転々としたが名池小学校に通っていたこともあるそうだ。ってことは山田耕筰作曲の校歌を歌ったこともあったのかな!

ここが名池の井戸。

小学校は水筒持参だ。運動会も春に開催。昔は水は蛇口から直接飲んでいたっけ。運動会も秋だったよね〜ってよく世間話の話題にのぼる。

古川薫さんによると、昔は「端午運動会」といって6月5日(当時旧暦を重んじる時代背景があり端午の節句が一月遅れで行われていた)、薫さんの誕生日にあたる日に運動会があったそうだ。

伊藤博文夫妻の家もこの辺りだったのか。「松琴堂」とご近所さんだったんだな〜。

歩いているうちに田中町を過ぎていつのまにか上田中町へ。上田中町といえば「軽食・喫茶スリランカ」や人気の古民家カフェBAGDAD CAFEがある。

BAGDAD CAFEのお隣の雑貨屋さんshare shop Daisyにわたしの絵のグッズを置かせていただいてます。お近くにお越しの際はよかったらお立ち寄りくださいね。散歩が気持ちいい季節です。miromiでした。

ABOUT ME
miromi
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青春時代を過ごした下関に15年ぶりに帰ってきました。
ひとつのお菓子からひろがる物語を絵に描いています。
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