下関市竹崎町1丁目17-20 [Google Map]
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Contents
「下関」と「ペンギン」との意外な関係
フクばかりが話題になりやすい下関から、今回は「ペンギン」を深掘り!
下関市では、下関市立しものせき水族館 通称「海響館(かいきょうかん)」での、2001年のリニューアル時にペンギンを中心にした展示に転換し、市民の我々にとっても意外と身近ですよね!(ですよね!?笑)
先日の海響館にて。なんだかいいポーズをとってくれました。
可愛い・・・足までモフモフ・・・なんて魅力はそれだけにあらず。
昨年には、12月にキングペンギンの赤ちゃんが十数年ぶりに下関で誕生!
癒しを与えてくれる話題に、事欠きません。
そんなペンギンと下関市の数奇な巡り合わせとは!!??
おっとその前に!下関の「市の鳥」って一体。
下関の「市の鳥」がペンギンであること。
一体どれくらいの方が知っているのでしょう?
市民の方はよくご存知でも、「下関」と聞くと圧倒的に「フク」の印象が強い。
とはいえ確かに、海響館にはキングペンギン、ジェンツー、フンボルト、イワトビ、と北極・南極を生息地とする種がたくさん暮らしています。
まさか!ペンギンをたくさん展示しているからだけ・・・ではないんです!
下関の市の鳥になる理由は、近代歴史にありました。それがこれ。
ウィキペディア(Wikipedia)にもしっかり載っていました!
でも、なんだか大事そうな注釈の字が小さい。
字が小さすぎて、見えなぁい(笑)!!
・・・ということで、今回はこのこの小さい小さーい注釈部分の、ペンギンと下関との関係に注目します!
この小さい字の ”コウテイペンギンを寄贈したことがあった。”
その関係者ご本人がご健在かつ、取材を快諾くださいました!
貴重なペンギンと下関との関係。めくるめく壮大なお話の数々をご堪能ください。
縁あって「今井行政書士事務所」へ、ペンギン取材!
きっかけは昨年、県外の友人から転送されて見た、ペンギンの剥製の新聞記事。
「下関には、よく民家にペンギンの剥製が眠っているらしい」という記事を見て、
そんな馬鹿な!!と友人と興味津々で調査をスタート。
隠せぬペンギン見たさ。加えて紹介されている今井さんはきっと、下関の生き字引であるに違いない!と勝手ながら確信。
さっそく問い合わせたところ、「ぜひどうぞ〜」と取材に応じてくださった今井吉治(いまいよしはる)さん。
今井さんは、駅から程近い豊前田の三角公園そばに行政書士として事務所を構え、損害保険サービスも請け負っておられ40年余り。
それ以前の今井さんは、生まれの山口県を離れ大洋漁業(現:マルハニチロ)の東京本社に勤務されていました。当時は水産加工の大成長期。その筆頭企業の船舶部門に所属する「機械担当部」に所属していました。
いわゆる「遠洋漁業船の一般乗組員でなく、その機関関係・冷凍機・発電系統の整備担当」だったのだそうです。
これはまさに、先のウィキペディアの一文、
「大洋漁業の捕鯨船が下関港に帰港して、旧下関水族館に寄贈したことが」
ここが繋がることとなります!!近づいてます!!
そんな今井さんご自身の壮大な人生
以下、白黒・セピア写真は今井さん撮影・ご本人蔵。
これ、現代アートの展示ではないんです。
まさかの、クジラのお腹の上(!)
何をしているんですか、今井さん!!笑
昭和初期の当時、国内の水産漁業や加工品の輸出は右肩上りに成長。
巨大な冷凍設備も備えた大洋漁業の大型船は、捕鯨をメインにマグロ・サケ・マス・タラ・カレイ。これらを捕獲しては、工場に帰港し缶詰などに加工・輸出。
それはそれはフル稼働で、世界中の海に出ては横須賀、横浜、晴海に帰港する日々でした。中には、海上で缶詰に加工できるよう、工場そのものを船内に有する巨大な船もあったのだそうです。
※注:以下、捕鯨時の画像が掲載されています。苦手な方は、ご注意ください。
今井さん当人も、ほとんど家で寝起きしないほど、遠洋の仕事が忙しく、半年に3回は南太平洋に長期間の出航をしていたそう。下関には、今も変わらず大洋漁業の水産加工場があったので、地元に帰りたくとも港に荷下ろしだけに寄る程度だった。
機関担当とはいえ、スケジュールの過酷さは変わらず至極大変。
「今思えば凄い時代だった・・」
とニコリ、昔のことを話してくれましたが、
さらっと聴くだけでも、北極に2回。南極には5回も到達したことがあり、オーロラも2回見たことがあるという、想像以上のあまりのスケールの大きさです!!
捕鯨では「シロナガス換算」という、捕獲量の世界的な規制を守りつつ懸命に事業を拡大。
その後、会社員時代の後期は、漁業に留まらず巨大船やそのノウハウを使って液体燃料の輸送や、特定地域での動物調査を外国間と共同で行なったり。
聞くと、パナマ運河→大西洋→ベネズエラ経由→もう一度大西洋→オランダ→北アフリカといった世界一周の航路も経験。当時の記憶は鮮明で、スラスラ〜!と教えてくださいました。只者ではないのは、もうみなさまもお気づきでしょう(笑)
退社し、現在に至る個人事業を立ち上げるまで、ずーっと世界を股にかけ引っ張りだこな今井さんでした。
これは、当時英国領だった南大西洋にあるサウスジョージア島での1枚。
海響館の画像でも登場した、南極周辺に生息する「ジェンツーペンギン」たちですね!
人があまり降り立たないサウスジョージア島では、ペンギンたちが人間を怖がらない!そして近づいて来ちゃう。
なんなら、帰ろうと船に乗るも、乗って着いてこようとしちゃう!!(これ本当なんですって)
あまりに人間に興味津々だったので、
「ためしに、3羽連れて帰ってみよう!!」
この今井さんの思いつきが、下関とペンギンのストーリーの始まり。
今井さんの写真コレクション
当時、機械担当部であった今井さんの、他の船員との最大の違いは、
「一眼レフを遠洋に持って出ていた」こと。
6〜10隻の大船団で向かう遠洋漁業の際は、乗組員が1500人を超えることも。その中で、一眼レフを持っていることも、撮れる技術も、持ち合わせるのは珍しいはず。
貴重な写真の数々!ポーズや背景はもちろん、周囲の乗組員の様子もこの時代感ならではのものですよね。
大変な仕事現場でも、束の間の和やかな空気が見て取れます!
こうした経緯で、3羽のペンギンを連れて日本へ帰ることに。
しかし、船内設備や飼育状態が追いつかず、日本の到着を待たずに残念ながらペンギンたちは死んでしまった。そこで、とっさに船内設備で冷凍し、地元下関へ帰港。
その後、山口県宇部市の知り合いを頼り、剥製業者に剥製にしてもらうことにした今井さん。それが、朝日新聞で取り上げられた「ペンギンの剥製」そのものだったのです!!
※注:以下、ペンギンの「剥製」が掲載されています。敏感な方は、ご注意ください。
いよいよ、現存数わずか「ペンギンの剥製」の登場
南半球での壮大な移動を経て。また、60年以上の時空も超えて。
下関駅に程近い「今井税理士事務所」のカウンタースペースに立つペンギン。
南極条約の制定や野生動物の保護もさけばれる今、なかなか珍しい存在なはず。
しっかり、ガラスケースに納められ、なんだか想像よりも凛々しいジェンツーペンギンの姿です!
これは新聞記者の方も放って置かないわけですよね(笑)
まさに、この姿を間近で見てみたかった!!
筆者の願いが、また一つ叶いました。
剥製にする方法も、上手い下手があるとの事で、体のシルエットの張りや目の輝き、羽毛の並びも見事に当時の面影を残します。
今井さんは、これら3体を剥製にしたあと、小学生が喜ぶのでは?と3体のうち1体を
地元・宇部の万倉(まぐら)小学校に寄贈なさいました。(他もう1体はご自宅で保管)
その後です。
このペンギンの国内入りをきっかけに、しばらくしてペンギンを生きたまま国内へ持ち込めるノウハウを手に入れます。
南極条約で動物の輸送が禁止されるまでの一定期間、大洋漁業として水族館に寄贈する流れが、下関とのペンギンの根強い関係となっていきました。
現在、日本中の水族館や動物園で見かけるペンギンたちの、先駆け的存在なワケです!
豊前田の三角公園そばの舗道を、ガラス越しに見やるかのようなペンギンの視線。
ぜひ近くを通った時は、下関とペンギンのストーリーに思いを馳せ・・・探してみてくださいね!
最後に、「求む!ペンギンの剥製情報!」(笑)
これまじなんです。
市立しものせき水族館「海響館」のペンギンコーナーに実際に掲示されているもの。
今井さんの例以外にも、海洋動物の剥製や加工物が多い下関。
もしかして、皆さんのご家庭の奥にも眠っているかも?!(笑)
それでは、にっこりハイポーズ!!
ぜひ、珍しい剥製を見せてもらうにも、税務や損保のご相談に行くにも、気軽に豊前田のお店に立ち寄ってみてください。
(特別な対応はできませんが、興味があれば声掛けていただければペンギンを見せてくれる、とのことです)
併せて、「ペンギンの剥製情報」も海響館へお寄せくださいね♪
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