下関発祥シリーズ!床屋発祥の地ってホント?!
下関に来た当初、ものすごーく気になっていたのがコレ。
「下関は床屋の発祥地」という看板。 椋野トンネルを抜けた先の貴船町にある下関理容美容専門学校のフェンスに掲げられたこの看板。
ご存知の方も多いでしょうし、気になっていた方もいるのでは?私も気になったので、ほんのちょっとだけ調べてみました。
「床の間のある店」→「床場」→「床屋」
かんもんノートでおなじみの「亀山八幡宮」の大鳥居の東側に「床屋発祥之地」碑が建てられていました。
本格的なタイムカプセルが!何が入っているのだろう。
記念碑の後ろには由来もしっかり書かれてありました。
む、難しい・・・
要するに、鎌倉時代の中期、御所勤めだった藤原基晴さんが宝刀を紛失した責任をとって辞職。三男をつれて下関に移り住んだんだそう。
そこで、新羅人から髪結いの技術を学んで、今でいう理容店を開きます。
そのお店の床の間に立派な祭壇があったことから、「床の間のあるお店」→「床場」→「床屋」と呼ばれるようになったらしい!
(※すっごい省略しちゃってすみません。)
こうやって、下関から「床屋」という言葉が全国に広がったって言われているみたい。
この地が床屋の発祥の地であることを記念して建てられたこの「床屋発祥之地」碑ですが、噂によると全国から美容師さんや理容師さんが観光に来たりするらしいですよ!
下関が床屋発祥の地って本当だったよ!!以上、気になるコレを調べてみた件!でした。
気になる方や、もっと詳しく知りたい方は是非訪れてみてください。
住所下関市中之町7
電話番号–
営業時間–
定休日–
駐車場–
ホームページなし
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